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クルト・ヨース IV

 1933年ヨースは、ナチスに協力者であったユダヤ人フリッツ・コーエンとの絶縁を命じられ、それに叛いたとしてドイツからの亡命を余儀なくされます。ヨースはオランダを経てイギリスに逃れ、そこで活動を続けます。1949年になってようやくドイツに帰ったヨースはエッセンに落ち着き、その後19年に亘って創作活動を続けます。そのかたわら後進を育てることにも心血を注ぎ、ピナ・バウシュはそこで学びました。

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クルト・ヨース III

1932年、パリで開催された国際振り付けコンクールに出品された作品『緑のテーブル』で、ヨースは首位を獲得しました。

妖精物語ではなく、時事問題を扱う、時代に沿ったストーリー性のある作品を作ることを好んだヨースは『緑のテーブル』で戦争をテーマにしています。

バレエは緑のテーブルを囲んだ支配者達が交渉決裂し、お互い銃を片手に宣戦布告するところから始まります。そして別れ、戦闘、ゲリラ、移民などの場面が展開し、最終的には骸骨の象徴する「勝利」が死のダンスを踊ります。

クルト・ヨース II

 クルト・ヨースはユダヤ人作曲家フリッツ・コーエンと協力してダンスと音楽のみによって、演劇的効果のある作品を創ることを目指していました。ヨースはモダンダンスのテクニックのみならず、1926年にパリに留学し、クラシックバレエも学んでいます。クラシックバレエを否定する風潮の強かった時代のモダンダンサーとしては風変わりな傾向だといえるでしょう。ではヨースは何をクラシックバレエに求めていたのでしょうか。

 ヨースの作品には他のモダンダンスの作品には見られないような跳躍が出てきます。ブルノンヴィルなどの作品ほど特徴的には使われていませんが、バレエのジャンプのテクニックを作品に効果的に取り入れています。

クルト・ヨース I

  20世紀のモダンダンスの巨匠であるピナ・バウシュが師事し、影響を受けた舞踏家のひとりがクルト・ヨースです。

 1902年西ドイツに生まれたヨースはナチスドイツの台頭、そして第二次世界大戦という激動の時代を生き抜いた時代の証人でもあります。

 ルドルフ・ラバンの元でダンサーとして活躍した彼はその後ダンスと演劇との融合を試みた作品を生み出していきます。