Monthly Archives: July 2010

ロイ・フラー Loie Fuller III

★イサドラ・ダンカン、川上貞奴とフラー

 フラーは19世紀後半にヨーロッパに渡り、パリのフォリー・ベルジェなどでショーを行い、大成功を得ます。また当時同じくアメリカ出身のイサドラ・ダンカンや、パリで万博に参加していた川上貞奴ともヨーロッパ公演を行いました。

 こうしてプロデューサーとしても精力的に活動し、ロートレックやロダンなどのベルエポックの芸術家とも親交がありました。

 アメリカ生まれのフラーですが、結局最終的に落ち着いたのはパリでした。自分の弟子達とアメリカ公演のために帰国しますが、1928年にパリで亡くなり、ペール・ラシェーズ墓地で眠っています。

Advertisements

ロイ・フラー Loie Fuller II

★スカート・ダンス

 ロイ・フラーは1862年、アメリカ、シカゴに生まれ、幼少から劇団で子役として活躍していました。ダンスのレッスンも受けていたようですが、厳しい訓練についていけず、どちらかというと女優としての道を進んでいました。

 ある日絹のスカートを着て鏡の前でそれをひるがえしてみたフラーは、「これで面白いショーができるのではないか」と思いつきます。

つまり彼女のダンスは女性の誰でもが鏡の前で少し長めのスカートをはいて、くるっと回ってみた…というのが発端のダンスだといえます。そこから発展して、独特の衣装と照明効果を駆使したスカート・ダンスを完成していきました。

ロイ・フラー Loie Fuller I

Loie Fuller

Portrait of Loie Fuller

★衣装と照明の芸術家

 ロイ・フラーはアメリカのモダンダンスのパイオニアのひとりです。

 彼女のダンスはダンス自身のテクニックではなく、独特の衣装と照明を駆使したショーで知られています。

 上の写真の通り、かなり凝った衣装です。全身総絹で、蝶の羽のようなところはワイヤーを入れていたそうですが、型紙(多分無いと思いますが)はどうなっていたのでしょうか。 この衣装にカラフルな照明を当て、その効果を最大限引き出すための振りを作っています。つまり、フラーの意図したものは、踊りが主体というよりはその衣装と照明が主体でした。

ロシアバレエ III

★ロシアバレエのバレエマスターたち

 シャルル・ディドロ、アルチュール・サンレオン、ジュール・ペロー、マリウス・プティパといったフランス人バレエマスターが入れ替わり立ち代わり入ってきます。その後ミハイル・フォーキン、アンナ・パブロワ、ニジンスキー、レオニード・マシーンなどの才能あるダンサー達によって今日で言うロシアバレエが成立していきます。クラシック・バレエとはいえ、当時からアメリカのモダンダンスの影響や演劇などから影響を受け、多種多彩な作品が次々と生まれました。

ロシアバレエ II

★帝国バレエ劇場とバレエ学校

ロシアのバレエはフランスとの関係が深く、初期にはジュール・ペローやプティパといったフランスのバレエマスターが活躍していました。1738年、フランス人バレエマスター、ジャン・バティスト ランデがサンクトペテルブルグに帝国バレエ学校を創立します。学校ではベルダンス(当時のバレエ)だけでなく、フランス語も教えられていました。

ロシアバレエ I

★ロシアバレエ

ヨーロッパではイサドラたちの時代以降、バレエは廃れて行きますが、その伝統はロシアに伝えられ、多くの傑作が生まれます。

 なぜロシアでその芸術が花開いたのでしょうか。それはロシア帝国のツァーがバレエを擁護したことが最大の要因だといえます。国家権力がバレエを強力に後押しすることによって、多くの優れた芸術家がロシアを訪れ、ロシアバレエの発展に貢献していきました。

裸足のイサドラ III

★イサドラの足跡

 イサドラはフランス、アメリカ、ロシアと世界のあちこちで自分の流派の学校を設立し、教えを広めようとしました。ですが、モダンダンスの創始者とされるイサドラがあまたあるその先駆者たちのひとりにすぎなく、彼女の独自性というのはそのメソッドよりもギリシア風の衣装と裸足といういでたちに尽きるのではないかという気がします。

 なにはともあれ、モダンダンスというアメリカを源泉としたダンスの潮流が20世紀の西洋舞踏にあたえた影響は、はかり知れないものがあるといえます。