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トゥシューズ

バレリーナといえばトゥシューズ、というほどバレリーナとトゥシューズの関係は切っても切り離せないものがあります。どんなダンスでもシューズというのはそのアイデンティティを示すものであるといっても過言ではありません。バレエではトゥシューズ、タップダンスはタップシューズ、社交ダンスではハイヒールのダンスシューズと、それぞれ踊りの特色を生かすためのシューズがあります。中には裸足で踊るダンスもありますが、ほとんどの場合「えっ、これでどうやって激しく動くの?」という特殊なものだといえます。
それらの靴を履きこなして優雅に踊るというのが技術なわけです。トゥシューズの場合も例外ではなく、何年もに亘る訓練が必要です。

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トゥシューズの寿命

 決して安価ではないトゥシューズですが、その寿命は短く、ダンサーによっては一日に何足も履き潰す人もいます。新品のシューズは固いので、つま先だけ固いままにしたまま土踏まずや足の指の付け根にあたる部分だけ柔らかくして、履きやすくします。そのために固いものでたたいたり、水でのり付けしてある部分をを溶かしたりといろいろな工夫がなされますが、やりすぎると柔らかくなりすぎて寿命が縮まったりします。そのあとゴムやリボンをつけて、足にしっかりなじむようにします。使用した後は汗などで湿ってしまいますので、しっかり乾かします。確かにトゥシューズは扱い辛くデリケートなものですが、丁寧に扱うと案外長持ちするものです。

トゥシューズのしくみ

 足の形は千差万別です。また日によって変化します。ダンサーはなるべく自分の足に合った履きやすいシューズを求めています。市販のトゥシューズメーカーではそんなバレリーナたちの要望に答えるべく、日々研究開発が盛んになされています。

 ではトゥシューズとはどんなしくみになっているのでしょうか。

 まずつま先で立つためのサポート部分として、ボックスと呼ばれる、トゥで立った時に直接床に触れる部分と、シャンクと呼ばれる足の指をすっぽり覆う部分があります。そしてソール、いわゆる靴底部分です。ボックスやシャンク部分は何枚もキャンバス地を重ねて糊付けしたものや、さらにその上に厚紙やプラスチックで強度を増したものなどがあります。そしてその上をサテンの薄いピンクの生地で覆います。希に黒や赤、白など衣装に合わせた色のトゥシューズもあります。ソールは革でできています。メーカーによって、固い革を使っているものもあれば、柔らかい革を使っているものもあります。

トゥシューズの歴史

 ダンスの歴史上トゥシューズが登場するのは意外と遅く、18世紀に入ってからです。かのマリー・タリオーニが使用していた靴はただのサテンの布のシューズで、つま先部分が少し強化されていただけに過ぎないものでした。それで『シルフィード』をつま先で踊っていたのですから、彼女のバランスがどれだけ優れていたかを伺い知ることができます。後にイタリア人のバレリーナピオリーナ・レニャーニはつま先で立つ部分を強化したトゥシューズを履いていたといいます。20世紀に入ってから、偉大なバレリーナアンナ・パブロワが靴底に革をつけることを考案し、大きな成功を納めました。当時の人々の中には「ずるい」との批判もあったようですが、今日のトゥシューズの原型となりました。

ロシアバレエ III

★ロシアバレエのバレエマスターたち

 シャルル・ディドロ、アルチュール・サンレオン、ジュール・ペロー、マリウス・プティパといったフランス人バレエマスターが入れ替わり立ち代わり入ってきます。その後ミハイル・フォーキン、アンナ・パブロワ、ニジンスキー、レオニード・マシーンなどの才能あるダンサー達によって今日で言うロシアバレエが成立していきます。クラシック・バレエとはいえ、当時からアメリカのモダンダンスの影響や演劇などから影響を受け、多種多彩な作品が次々と生まれました。

ロシアバレエ II

★帝国バレエ劇場とバレエ学校

ロシアのバレエはフランスとの関係が深く、初期にはジュール・ペローやプティパといったフランスのバレエマスターが活躍していました。1738年、フランス人バレエマスター、ジャン・バティスト ランデがサンクトペテルブルグに帝国バレエ学校を創立します。学校ではベルダンス(当時のバレエ)だけでなく、フランス語も教えられていました。

ロシアバレエ I

★ロシアバレエ

ヨーロッパではイサドラたちの時代以降、バレエは廃れて行きますが、その伝統はロシアに伝えられ、多くの傑作が生まれます。

 なぜロシアでその芸術が花開いたのでしょうか。それはロシア帝国のツァーがバレエを擁護したことが最大の要因だといえます。国家権力がバレエを強力に後押しすることによって、多くの優れた芸術家がロシアを訪れ、ロシアバレエの発展に貢献していきました。